
「江戸前」の海を未来の遺産に——世界のイノベーターが船橋漁港で見た都市型漁業の未来
2025年10月30日、東京建物株式会社とFuture Food Institute(FFI)、(一社)TOKYO FOOD INSTITUTEが共催する国際カンファレンス「RegenerAction Japan 2025」のサイドイベントとして、登壇した海外からのゲストを対象に千葉県船橋漁港にて東京湾スズキ漁業の現場視察が実施された。都市に隣接する小規模漁港において、資源管理・食文化・地域経済がどのように再生され得るのかを体感する企画だ。
欧州やアジアから、フードイノベーション、サーキュラーエコノミー、海洋資源管理の専門家に加え、都市デザイン、ブルーエコノミー(海洋経済)の実務家など、多様な領域の国際的リーダーが参加し、漁港から生まれる可能性を探った。
朝8時、住宅地に隣接した静かな船橋漁港に参加者が集まった。潮の香りがほのかに風で漂い、ひんやりと澄んだ空気がその日の漁獲を予感させる。東京湾の最も奥に位置する船橋漁港は、スズキの水揚げ量日本一の港で、この日は本年のスズキ漁の漁期最終日。現場の動きに立ち会える貴重なタイミングであった。最初の案内は漁港内の水揚げ場で行われ、船橋漁港が東京湾におけるスズキ類の主要な水揚げ拠点であることが紹介された。港内には加工場や漁協の建物が集まり、都市に近い漁業ならではのコンパクトさと機能の密度が感じられる。


本視察を担った海光物産とUMITO Partnersは、共に海の持続可能性を高める取り組みを進めている。船橋漁港を拠点とする海光物産は、伝統的なの漁業の在り方と海の資源を未来につなぐため、資源管理型漁業をはじめとした多面的な地域貢献に尽力。UMITO Partnersは、ウミとヒトを持続可能な関係へとつなぎ直し、海をネイチャーポジティブへとシフトする海洋サステナビリティ・コンサルティング会社だ。今回の視察では、両者が協力し、都市に隣接する船橋漁港が持つ課題と可能性を、参加者が多角的に体感できるプログラムを設計した。
現場に足を踏み入れると、海光物産のスズキの高鮮度・高品質の秘訣である「瞬〆(しゅんじめ)」の実演が始まった。



「瞬〆スズキ」は、厳選したスズキを活きた状態で水揚げした直後に血抜き・神経抜きし、それにより鮮度と旨みを長く保つという、海光物産のブランド魚。品質処理にこだわっており、魚の持つ本来の価値を最大限に引き出す工夫が、この工程で見られる。

EU(European Union:欧州連合)の外郭団体であるEIT(European Institute of Innovation & Technology:欧州技術革新研究所)のイニシアチブ一つで欧州社会の食の価値向上に務める「EIT Food」に所属するルーシー・ウォーラス氏は「魚体の色が非常に良く、健康であることが伝わってきました。そのこと自体が、この海域の生態系の健全さを示しているように思えました」と語り、魚の状態から環境の現状を読み取っていたのが印象的だ。また、海外で農業関連企業に勤める女性は「ベジタリアンである私としても、痛みを最小限にする処理方法を見て、アニマルウェルフェア(動物福祉)の観点からも学ぶ点がありました」と述べ、瞬〆の工程は環境面だけでなく倫理面からも注目を集めていた。
水揚げ場での案内の後、参加者は漁船に乗り込み、短い航走を体験。上陸後、漁師が手作業で網を繕う横で、操業や漁獲管理に用いるデジタルシステムの説明が行われた。タブレット端末上で船団内で各船のソナー映像を共有し、網の投入箇所や魚種ごとの漁獲量をリアルタイムで記録しているという。使用する網の全周は約730メートルに及び、季節に応じて長さを調整することで「獲りすぎ」を防ぐほか、網に入った25cm以下の幼魚を手作業で海に帰す「再放流」も徹底されている。こうした取り組みの随所から、魚の品質と海の生態系を守ろうとする姿勢が一貫して感じられた。


続いて一行は加工場へと歩みを進め、スズキ加工の工程について説明を受ける。三枚おろし機は骨と身を正確に切り分け、中央に中骨、その両側に二枚のフィレが分かれる仕組みだ。こうした高度な加工技術が日常的に活用されており、加工された魚はすぐに急速凍結へと移される。細胞が膨張して組織が壊れる前に旨みを封じ込めるための工夫である。


FFIのアレッサンドロ・フスコ氏は、加工の様子を間近で見て「すべてが近い距離でつながり、清潔で無駄のない流れになっている点が印象的でした」と、語った。
視察全体を振り返り、都市デザインを専門とするクァンフィル・チョ氏は、船橋漁港の佇まいに改めて目を向ける。「通常、都市と生産現場は分断されがちですが、ここは住宅、商業、そして漁港という異なる要素が見事に統合されています。この“都市と海がつながる風景”にこそ、共生という次世代の都市モデルを感じました」


視察後、朝の操業を終えた漁師も交えて、漁協の会議室で海光物産とUMITO Partnersによるプレゼンテーションが行われた。東京湾は河川由来の栄養が豊富に流れ込むことで多様な魚種が集まる「江戸前」の海として栄えていたが、大正期以降、開発や海水温の変化によって、生態系が急速に変化し、現在では漁獲対象種が限られている。
「データ上で水揚げが増えたように見えても、それは“残っている魚”がスズキに偏っている結果でもある」と海光物産・代表取締役の大野和彦氏は指摘。漁獲量だけでは把握できない現状が見えた。
大野氏は「自分ひとりが獲り控えても状況は変わらない、という感覚が根強い」と漁師の心理の難しさを語り、持続可能な漁業への転換には、制度だけでなく「意識の変化」が不可欠であると強調した。これに対し、「リジェネラティブ(再生)」農業・漁業の変革を支援するNaked Innovations の CEOであるライアン・エドワーズ氏は「これほど複雑な条件のなかで、自発的に持続可能性を追求する姿勢は、国際的に見ても極めて重要で価値があります」と述べ、海光物産の取り組みを広い視野から評価する。



「江戸前」を未来へ引き継ぐためのもうひとつの挑戦として、低流通魚の活用が紹介された。千葉県が水揚げ量全国一を誇るコノシロは、幼魚の段階ではコハダという別の名前を持ち、寿司ネタとして高く評価される一方、成熟して産卵が可能になる前に利用されており、大きくなるほど人気が落ちる。そのため、再生産を妨げる負の循環が生じているという。この課題に対して、海光物産は大手製菓メーカー・おやつカンパニーとともにコノシロを使った『素材市場さかなのスナック』を開発。実際にスナックが振る舞われ、参加者一同からは「想像以上に風味豊か」といった声も上がった。

最後にUMITO Partnersの岡本類氏が、海光物産と協働しながら、漁業改善、生態系保全、ブルーファイナンスを通じて海のレジリエンスを回復させる取り組みを紹介。漁業者単独では対応しきれない課題構造が説明され、多方面から持続可能な漁業の未来について考えるセッションを締めくくった。
プレゼンテーション後のディスカッションでは、「リジェネラティブな社会とは何か」、そして「船橋漁港が再生可能な町になるために何が求められるのか」という二つの問いを軸に議論が展開された。
まず資源管理の制度化について、フスコ氏はスズキの産卵期禁漁などの管理措置が「県からの指示ではなく、自主的に行われているのか」を確認したうえで次のように述べる。
「自主的な取り組みだけでは限界があります。他地域の再生漁業では、制度設計が重要な役割を果たしてきました」
国際ネットワークと連携した制度的アクションの可能性も語られた。
これを受け、海光物産側は「漁業者は一人ひとり背景も事情も異なるため、一律の制度導入は摩擦を生みかねません」と現場の葛藤を明かしながら、「資源があってこその自由競争です。国が生活を保障し、その上で資源管理を行う『公務員』のような立場で、ライセンス制の導入も検討すべきかもしれない」と、新たな制度設計の必要性を示した。
自発的に持続可能性を追求する海光物産の「勇気ある取り組み」に対し、エドワーズ氏は「国際的なチェンジメーカーである私たちは、どのような形でその挑戦に伴走できますか?」と問いかける。これに応じて、大野氏は外部との連携に前向きな姿勢を示していた。


議論は次第に「消費者行動」へと広がっていく。持続可能な消費への行動変容の難しさが話題に上がると、大野氏は、社会的な認知と実際の購買行動の間にはまだ距離があり、経済的な事情や社会情勢も相まって変革が容易ではない現状を率直に語った。さらに、「自由に売ることができるので当然、高く売れるところ、高く買ってくれる人に売りたくなります。結果的に、地元で“地元のスズキ”を食べられる場が実は少ないことも課題です」(大野氏)と述べ、漁業と地域コミュニティの関係の循環を妨げる構造が示唆された。
最後の議論のテーマは「都市型漁業」についてだ。住宅地に囲まれ開発圧力が高い港だからこそ、海を活かした街づくりの可能性は大きく、観光資源としての港の活用、地元魚を味わえる食空間の創出、海をテーマにした教育拠点の整備など、漁業と都市が交わる新たなシナリオが共有された。チョ氏は、都市計画の観点から「競争ではなく共生と多様性を前提にしたWise Town(賢明な町)の発想が必要だと思います」と20世紀型成長モデルの限界を踏まえた「都市・人・自然の再統合」の重要性を指摘した(ワイズタウンについては講演記事参照)。


今回のディスカッション全体を通して共有されたのは、漁業が「過去の遺産」ではなく、これからの社会を形づくる「未来の遺産」であるという視座であった。視察を通じて示されたのは、文化の継承と新たな技術が混ざり合い、循環する生態系を再構築していく姿である。都市と海の境界に位置する船橋漁港だからこそ、資源管理、文化継承を一体として捉え、リジェネラティブな未来像を紡ぐ力がある。
(文/安田恵実 写真/山口雄太郎)