2025.03.15

【研究応援】地球を循環する水から、「アースポジティブ」を実現する

「水」を軸に環境問題に取り組む アクア・リジェネレーション機構

気候変動や水質汚染などの環境問題は、国や地域の垣根を超えて、人類が解決すべき課題である。この大きなテーマの中で「水の再生」に取り組んでいるのが、信州大学アクア・リジェネレーション機構長の手嶋勝弥氏だ。

同機構は「水の研究で世界を変える」という構想をもとに、水と地球環境の再生に関連する研究を行う機関である。

同機構が「水の再生」を研究コンセプトに掲げている背景には、「プラネタリーバウンダリー」と呼ばれる概念が関係している。これは人類の活動が地球へ与える影響を指標に基づいて評価し、人類が地球上で持続的に生存していくために、地球環境が許容できる限界を定めたものだ。全部で9つの項目が設けられており、「気候変動」「成層圏オゾンの破壊」「海洋酸性化」などが含まれている。

 

「2023年に発表された報告書では、9つのうち6つの項目が臨界点を突破し、大変危険な水準に達しています。環境問題は様々な要因が絡み合って発生していますが、中でも水は、海洋酸性化や気候変動など、多くの課題に関係している要素です。もともと地球は水の惑星として始まり、生命の根幹である水は現在に至るまで地球を循環し続けています。この水をテーマにすれば、様々な問題へ複合的にアプローチできるでしょう」と手嶋氏は話す。

 

このアプローチの指針として、手嶋氏は「アースポジティブ」という概念を掲げている。「例えば、全人類がスマホもパソコンも捨てて、電気を使わないようにすれば環境負荷は減らせます。しかし、それは社会活動と両立できるソリューションとは言えません。使われるエネルギーや資源を『削減』するネガティブな対応ではなく、リジェネラティブ(再生・再生成)の文脈から、何かを生み出す『ポジティブ』なアクションが必要です。この方針を私は『アースポジティブ』と呼んでいます」と語る。

結晶材料を使って幅広い課題を解決、アフリカで浄水装置の実証実験も行う

アクア・リジェネレーション機構長として研究活動に励んでいる手嶋氏だが、機構長に就任する前にもアースポジティブに関わる研究を行っていた。それが、専門分野の結晶工学を用いた、浄水装置の開発である。

 

結晶工学とは、様々な特性を備えた結晶の設計・合成について研究する学問であり、手嶋氏が今までに手がけた結晶材料の製法は300種類以上にのぼる。これらの結晶材料は浄水装置をはじめ、電池材料、光触媒など様々なプロダクトに使用されている。

 

手嶋氏が手がけた浄水装置は、水中に溶解する様々な有害イオンを吸着(イオン交換)する新素材を用いたものだ。具体的には、溶解性の鉛・カドミウム・鉄・マンガンなどを対象にしたチタン酸ナトリウム、ならびに、フッ化物イオンやヒ化物系イオンを対象にした層状複水酸化物である。手嶋氏はこの素材を用いて、無電力で稼働できる緩速ろ過型浄水プラントを作り、2023年1月からアフリカのタンザニアにあるレマンダ村で実証実験を行った。

 

タンザニアを含むアフリカ東部では、地質由来のフッ素による飲用水の汚染が問題となっており、フッ素の過剰摂取で骨や歯が溶けてしまうなどの健康被害が起きている。実証実験では水に含まれるフッ素の除去に成功し、飲料水や家畜の飲み水として使われたという。

 

この実証実験の中で、運用面の課題も見えてきた。緩速ろ過型の浄水プラントは、水を流し続ければ機能を損なうことなく動き続けてくれる。しかし、現地に強風など急な気候変動が訪れた際に、装置が壊れることを恐れて、村民がプラントへの水の供給を止めてしまったという。プラントは修理が必要になったが、実地運用してみなければ分からない課題が発見できたことは大きな収穫だと手嶋氏は語る。

手嶋氏は「アクション」という言葉を大切にして、講演の中で発信している。
手嶋氏がタンザニアに設置したプラントは無電力で稼働できる。
「自ら考え、行動していく」 そのなかで仲間が増えていく

タンザニアで行った浄水プラントの実験のように、手嶋氏が自らアクションを起こしているのは、「水の研究で世界を変える」ビジョンを共に進める仲間を作るためだ。

 

「先ほど述べたように、プラネタリーバウンダリーは6つの項目が臨界点を突破しています。この危機的状況を打ち破るためには、学術界だけでなく、民間企業などに自発的にアクションを起こしてくれる仲間が必要です」と手嶋氏は展望する。

 

この展望は、アクア・リジェネレーション機構が掲げる「みずから、はじめる。(from water, from myself)」というスローガンにも表れている。この言葉は「水から」と「自ら」をかけた言葉で、「水を起点に、自ら考え、自ら始めよう」という想いを含む。

 

個々の研究が影響を及ぼせる範囲には限度がある。危機的な状況にある環境課題を解決するためには、研究という作用点を増やすだけでなく、研究者自らが周りを巻き込んで協力者を増やし、影響力を拡大していく必要があるだろう。

 

「ニーズを理解して現状を把握し、仮説を立てて、小さくても良いのでボトムアップでアクションを起こしていく。行動を起こせば一次情報が得られて、より効果的なアプローチが模索できます。実際にアクションすることで説得力も増しますし、『この課題を解決したい』と共感してくれる仲間が増えていくでしょう」と手嶋氏は話す。この一連の流れこそが、同機構におけるリジェネラティブの要点ではないだろうか。

 

環境問題を乗り越えなければ、人類は明るい未来を描けない。アースポジティブを実践するアクア・リジェネレーション機構と手嶋氏の活動に注目したい。

 

(文・鈴木 雅矩)

当記事は「研究応援 vol.37」(リバネス出版、20253月発行)より引用しています。

プロフィール
手嶋 勝弥
Katsuya TESHIMA
信州大学 アクア・リジェネレーション機構 教授
専門 結晶工学
〈研究テーマ〉水の惑星地球を再生する
「アクア・リジェネレーション」への材料科学からのアクション

名古屋市生まれ。信州大学工学部助手・准教授を経て、2011年から教授を務める。2019年からは、先鋭領域融合研究群先鋭材料研究所所長に就任。これまでの論文・著書・解説は300を優に越え、出願・成立した特許は100件以上。2024年4月からはアクア・リジェネレーション機構長を兼任する。