2026.07.31

ほんの一口が、世界の見方を変える——「おいしい」から始まる、食の循環【not a dinner 2026】

東京・八重洲に構えるレストラン「Innovative Kitchen 8go」で、年に一度だけ開かれる夜がある。その名は「not a dinner」。

 

ミシュラン一つ星・グリーンスターに選出された「nôl」のディレクターを経て、現在は「Innovative Kitchen 8go」のディレクター・株式会社PLUM KNOT代表を務める野田達也シェフが手がける、一夜限りのコースが提供される。そのコースの主役として並ぶのは、いわゆる高級食材ではなく、これまで十分に活用されてこなかった未利用食材や未来の食材たちだ。

 

2026年のテーマは「not a 鮨」。江戸由来の食文化である「鮨」を現代のガストロノミーで再解釈した全16皿のコースが、政府・大臣クラスから、著名アーティストをはじめとする特別ゲストに提供された。コースに使われた素材や技術は、フードテックのスタートアップから大手企業、地域で食を通じた価値を創出している企業まで、さまざまな企業によって生み出されたものだ。なぜ一流のシェフが、まだ世に知られていないスタートアップの取り組みに目を向けるのか。野田シェフと、主催の東京建物まちづくり推進部・建道佳一郎氏に聞いた。

「食事」ではなく「食体験」を届ける夜

4月28日、東京都が主催するアジア最大のグローバルイノベーションカンファレンス「SusHi Tech Tokyo 2026」の開催日の夜、37人のゲストが「Innovative Kitchen 8go」に集まった。主催・東京建物、共催・PLUM KNOTによる、今夜だけのスペシャルディナーコース「not a dinner」の開催だ。なぜ、このような企画が生まれたのか。その背景には、新しい食材や技術を持ちながらも発信に課題を抱えるスタートアップの存在があった。

 

「たとえば、消費した量と同量のタコを海に戻して漁業資源を再生する取り組み、粉末状の玄米粉など調理されて初めてその価値がわかるような食材——せっかくこのような新しい取り組みをしていても、知ってもらったり食べてもらったりするための発信方法がわからない、という企業が多いことにジレンマを感じていました」(東京建物 まちづくり推進部FOOD & イノベーションシティ推進室 ・建道佳一郎氏)

 

そこで東京建物とPLUM KNOTは、新しい食体験を発信する場として「not a dinner」をスタートさせた。東京建物は、VCへの出資やSusHi Tech Tokyoをはじめとするイベントを通じて食分野の企業と共創し、リジェネラティブというキーワードを軸に関係を深めてきた。だからこそ、コースに協力するのはフードテック系のスタートアップだけではない。大手コンビニのような大手企業から、放置された森で新たな価値を創り出す地方のプレーヤーまで、規模も業態も異なる企業が一堂に会する。そして『not a dinner』——直訳すれば『ただの食事ではない』——このイベント名が示すとおり、おいしさの先に届けたいものがある。

 

「単に東京建物のつながりでスタートアップを集めるだけではなく、集まったからこそできることを、一つの“食体験”として形にする企画です。二度目の開催となる今年は、参加するスタートアップの数が約30社から50社超に増えました。東京建物の一年間の共創の取り組みの集大成という位置づけです。社会課題を解決する食のスタートアップや、地域資源を価値として提供するプレーヤーたちが、シェフのクリエーションにより、圧倒的な美味しさとアートのような美しさで、食べる人へ感動を与える。そしてその感動が参加者の次への共創アクションへつながっていく、そんなイベントを目指しています。」(建道氏)

野田達也シェフ

スタートアップの価値を食体験として届ける——その場づくりを担う野田達也シェフもまた、この企画に明確な思いを持っている。

 

「ただ“おいしい”と感じていただくだけでなく、五感を通じて、最新のイノベーションを知ってほしいという思いを込めています。できれば、その体験を周囲にも伝えていただき、社会に対するたくさんの想像が膨らんでいく——。そうして未来の循環の輪を広げていけたらと思っています」(野田シェフ)

コースがスタート——全16皿の挑戦

食のイノベーションを知り、想像し、広げてほしい——その思いを載せた「not a dinner 2026」のコースは19時に始まった。まずテーブルに運ばれてきたのは「すじ青のりお抹茶」という未知の一品だ。

すじ青のりお抹茶

「抹茶も海藻も、日本人はよく知っている素材ですが、組み合わせ次第でまだ体験したことのない味わいが完成します。料理を通じて、その可能性を再発見していただけたらと考えました」(野田シェフ)

 

一品目から、初めて口にする味わいに、ゲストの間には驚きが広がっていった。縄文時代から食べられてきたどんぐりをフランに仕立てた「どんぐりのフラン」、食べる角度によって味わいが変化する3Dプリンター製の「未確定のキューブ」、マイコプロテインでタコ足の食感を再現した「NEOたこ焼き」——中盤まで、目を閉じて食す人、隣席と会話しながら食べる人と、ゲスト一人ひとりが料理に向き合う姿が見られた。

 

後半では「not a 鮨」というテーマのもと、一層深みを増していく。

 

有機栽培の野菜や食用花をネタに見立てた「農園鮨」、チョウザメや未利用魚など既存の流通に乗りにくい食材をネタに昇華させた「循環鮨」、経産牛を再肥育して新たな和牛に昇華させた「Re鮨」など、斬新な一品を提案。

特に「古来より日本にある食材」や、「今まさに捨てられているもの」をリジェネラティブという観点で捉え直したとき、どのような食体験が生まれるのか。その問いへの一つの回答が、このコースに凝縮されている。

農園鮨
循環鮨
Re鮨
生産現場で気づいた、もう一つの現実

こうしたコースを手がける野田シェフだが、最初からこの道を歩いていたわけではない。活動のきっかけは、生産者との出会いにあったという。数年にわたる産地の視察を通じて見えてきたのは、魅力と課題が常に共存する生産現場の姿だった。

「それまでは食材の魅力だけをお客さまに伝えていました。でも、果たしてそれでいいのだろうかと。おいしさと、生産現場が抱える課題が分断された状態のまま食べ手に届けていたら、この食の営みは持続可能にならないのではないかと感じたんです」(野田シェフ)

 

どんなに素晴らしい食材も、それを生み出す現場には、後継者不足、農地の荒廃、エコシステムの崩壊といった課題が色濃く影を落としている。一軒の田んぼが失われることで水路が機能しなくなり、山の保全が失われ、やがては海の生態系にまで影響が及ぶ。農家が続けることが困難になると、土砂崩れや水害のリスクが高まり、巡り巡って人間に返ってくる。

 

「料理のおいしさと食材の課題を分断した状態は、持続可能とはいえない」——そのシンプルな気づきが、今日の活動の原点だと野田シェフは話す。

 

そうした中で、東京建物の担当者との出会いも、野田シェフの転機となった。紹介された未来志向の食を通じたリジェネラティブの考え方の共有をきっかけに、野田シェフは「リジェネラティブ」という概念と出会い、レストランの枠を超えた活動へと向かっていく。持続可能な未来につなげるために、レストランの外へ——。そうした思いの先に、「not a dinner」は生まれた。

 

(左)始まりの煮卵、(右)未確定のキューブ どちらも3Dフードプリンターを使用
1回の選択が、1億のインパクトになる

では、この食体験を届けることには、どんな意味があるのか。

 

野田シェフが繰り返し語るのは、「知る」ことの力だ。例えば、お店で手に取る冷凍パスタのブロッコリーがどこから来たかを想像する人はほとんどいない。しかし、その先を知ることで、同じ価格の同じ商品にも、もっと大きな価値を感じることができるかもしれない——。「not a dinner」という場はそのための体験装置であり、その場に各界のキーパーソンを一堂に招いて、この食体験を届けることに意味がある。

「まず”知る”ということが非常に大事だと思っています。価値を知らなければ、人はそれを手に取りませんし、口にしようとも思いません。個人的には、できる人が、できるときに、できる範囲でやること。それが持続可能のコツだと思っています。まずは、スーパーにある持続可能性のある素材を、おいしそうだな、ちょっと試してみたいな、という自然なきっかけから手に取っていただけたら嬉しい。日本全国の皆さんがたった1回の選択を変えてみてくれるだけで、1億個以上のインパクトが生まれる。そんな動きに期待しています」(野田シェフ)

八重洲で、この夜を続ける意味

そうした選択の入り口を生み出す場が、なぜ八重洲なのか。東京建物の建道氏はこう語る。

 

「もともとYNKエリアは、江戸時代から食文化が根付き、老舗飲食店が今も軒を連ねるエリアでもあります。私たちはデベロッパーとして、この街にハードとしてのビルを建てるだけでなく、文化的な価値といったソフトの価値も同時に作っていく責任があると考えています」(建道氏)

 

野田シェフも、この場所でこの夜が続いていくことに期待を感じているという。

 

「まず、食を軸にイノベーションを生み出す取り組みを、東京建物さんのように東京のど真ん中にいるデベロッパーが進めている。そこにすごく希望を感じています。私としても、このYNKエリアを、世界で一番、食に関わる人たちが集まる場所にしていきたいと考えていて。今『&シェフプロジェクト』として料理人のコミュニティの立ち上げも構想しています」(野田シェフ)

 

二人の言葉から浮かび上がるのは、食で人をつなぎ、まちを変えていくという共通のビジョンだ。生産現場の課題に気づき、リジェネラティブという概念と出会い、食体験を通じて社会との接点を広げてきた野田シェフ。その夢は、一夜のコースをはるかに超えた場所を目指している。ほんの一口が、世界の見え方を少しだけ変える。「not a dinner」の一夜は、その無数の入り口のうちのひとつである。

この夜の16皿を支えたのは、スタートアップから大手企業まで、多様な企業の挑戦だった。次の記事では、コースに沿って、それぞれの取り組みと背景を紹介する。

 

 

(写真/木村文吾)

プロフィール
野田 達也
Tatsuya Noda
1985年、福岡県生まれ。半導体エンジニアから料理人へ転身。
地元・福岡の調理師学校を卒業後、都内フレンチレストランを経て、2012年に渡仏。ミシュラン二つ星「Passage 53」にて、佐藤伸一氏(現・Restaurant Blanc Paris)のもとで研鑽を積む。
帰国後は、食品製造からバル業態まで幅広く食の現場に携わり、ケータリング事業を通じて再渡仏。世界各国のシェフやアーティストとのコラボレーションや、国際的な食のイベントの企画・運営に従事する。
帰国後、日本橋馬喰町「nôl(ノル)」の立ち上げに参画し、ディレクター/シェフとして統括。5年連続ミシュラン一つ星(2022〜2026年)、3年連続ミシュラン グリーンスター(2024〜2026年)の獲得へと導く。現在はサステナビリティアドバイザーを務める。

また、日本最大級の若手料理人コンペティション「RED U-35」では、大会史上唯一となる3度の準グランプリを受賞。
現在は、株式会社PLUM KNOT 共同創業者・代表取締役として、八重洲のInnovative Kitchen「8go」の総合プロデュースを手がけるほか、バスク・カリナリー・センター初の海外拠点であるGIC Tokyoのガストロノミーアドバイザーを務める。
食・科学・医療・アート・テクノロジーを横断し、「8年後のスタンダード」を創ることをテーマに、料理人の活躍領域を広げ、食を起点とした新たな価値を社会へ実装している。