
「投資は増えているのに、なぜスケールしないのか?」
アグリフード分野で20年以上、グローバル企業から550社を超えるスタートアップまでを支援してきたライアン・エドワーズ氏は、この矛盾に正面から取り組んできた。穀物メジャー大手カーギル社で欧州のイノベーション部門を率いた経験から、個別企業の努力だけでは限界があることを痛感したという。起業家として歩み始めた彼が辿り着いた答えが、「Living Lab(リビング・ラボ)」という手法だ。
バルセロナに欧州初の農業サンドボックスを立ち上げ、規制を乗り越え、バリューチェーン全体を巻き込んだエコシステムで再生型農業を実現する——。RegenerAction JAPAN 2025で、エドワーズ氏は10年間の試行錯誤から得た知見を惜しみなく共有した。
私は食とイノベーションの分野で20年間働いてきました。最初の10年間は、世界最大級の農業関連企業カーギル社で、欧州のイノベーションとマーケティング部門の責任者を務めていました。そこで目の当たりにしたのはまさに、光と影でした。
当時は「サステナビリティ(持続可能性)」という言葉で語られていましたが、重要な課題に多額の資金が投じられながら、期待したリターンが得られないケースも少なくありませんでした。
そして今も、状況はあまり変わっていません。政府や企業からの投資額は増え続けていますが、本当の意味でインパクトをもたらし、スケールするプロジェクトは十分に生まれていません。金額は増えているのに、成果が追いついていない——これが、私たちが直面している最大のパラドックスです。
10年前、起業家としてNaked Innovationsを立ち上げてからも、この課題は常につきまとってきました。私たちは農業・食品分野のインパクト系スタートアップを支援してきましたが、その多くが1年目を乗り越えられず、2年目を超えることはさらに困難でした。時間、リソース、資金が大量に投入されているにもかかわらず、です。
なぜこんなことが起きてしまったのか——その答えを探す中で、私たちはひとつの手法に辿り着きました。それが「Living Lab(リビング・ラボ)」です。
Naked Innovationsで私たちが実践しているのは、人間中心のシステム思考デザインを用いて、アグリフード分野のイノベーション・エコシステムを創造することです。それは地域に根ざしながら、世界中とつながっています。その具体的な手法が「リビング・ラボ」です。
「リビング・ラボ」の本質はシンプルです。創造し、テストし、そして世界のさまざまな場所でインパクトをスケールさせる。
地域で行動する——それは必ず場所に根ざし、その地域のステークホルダーが直面している共通の課題を中心に据えます。同時に、その学びを世界の異なる地域と共有していきます。今、多くの場所で共通の課題が起きています。だからこそ、「リビング・ラボ」でつながるステークホルダーたちが一緒に学び、課題を共有し、リソースを分かち合うことで、より大きなインパクトを創出できるのです。

ここに辿り着くまでには、長い旅がありました。私はこれまで2つのベンチャービルダー、3つのインキュベーター、4つのアクセラレーターを運営し、その過程で45以上の企業イノベーションプロジェクトに関わり、20以上のスタートアップを立ち上げ、550以上のスタートアップを支援してきました。そのすべてが、「リビング・ラボ」というコンセプトに導いてくれたと思っています。結果、9つの「リビング・ラボ」をヨーロッパ各地に展開し、東南アジアおよび中東でも新たな展開を進めています。
もし10年前にやり直せるなら、多くのことをまったく違うやり方で始めるはずです。しかし、今ここに辿り着くためには、この旅を経る必要がありました。失敗も含めて、すべてが学びだったのです。
これまで私たちは、ペプシコ、モンデリーズ、ダノン、ユニリーバといった大企業と協働してきました。しかし、ある時点で、企業との関わり方そのものを変える必要がありました。
以前は、これらの企業と個別に仕事をしていました。典型的な例がマッケインです。マッケインは世界最大のフライドポテト企業で、マクドナルドに供給し、カナダ本社からグローバルに展開しています。
彼らが最初に持ち込んだ課題はこうでした。
「ジャガイモの栽培方法に問題がある。持続可能な、いや今なら再生的な方法で行われていない。助けてほしい」
そこで私たちが提案したのは、マッケイン単独ではなく、バリューチェーン全体での協働です。 農家まで遡り、肥料会社や種子会社といった資材提供者、買い手、そしてレストランや小売店まで、そのすべてを巻き込んだエコシステムとして取り組む方法を模索したのです。
食料システムが本当に機能するためには、自然界と同じように共生的でなければなりません。自然の中では、すべてのアクターが役割を持っています。大きくても小さくても。それらすべてが共生し、バランスを保ってはじめて、システム全体が機能するのです。
10年前、起業家になったばかりの私が言われたのは、ただひとつでした。
「ライアン、資金調達できるようにピッチを学べ」
課題を深く理解することよりも、開発している技術や提供する市場を本当に理解することよりも、創業者としての自分自身やチームが何を築こうとしているかを理解することよりも、「どうやって資金を調達して生き残り、スケールするか」が最優先である、というアドバイスでした。

何をスケールさせるのか? 何を築いているのか? どんな問題を解決しているのか? アイデアは持っていましたが、すべては「投資家向けの言葉」で語ることが求められていました。
もちろん、投資家との協働は重要です。本当にインパクトをスケールさせたいなら、すべての主要なステークホルダー、その場所の課題のすべてのオーナーを理解する必要があります。 これは、私たちが学んだ最大の教訓です。
そこで私たちが構築したのが、3つの健康をバランスさせるモデルです。
第一に、地球の健康。これは気候変動と、地上の土壌の両方を意味します。第二に、人間の健康。今、「長寿」がメガトレンドとして注目されていますが、量だけでなく、生活の質についても考える必要があります。そして第三に、これら2つを支える基盤として、経済的健康。すべてのアクターに繁栄をもたらす必要があります。
カーギル社での10年間で、私は大企業のために多くの利益を生み出す方法を学んできました。それは今でも、非常に重要だと確信しています。私たちはまだ資本主義社会に生きており、経済性を無視することはできません。
しかし、インパクトを拡大させたいなら、大企業だけでなく、すべてのアクターにとって経済的に持続可能でなければなりません。
これが「進化した資本主義」の姿だと私たちは考えています。地球、人間、経済という3つの円が重なる中心部分こそが、真の再生型イノベーションが生まれる場所なのです。
ではなぜ、私たちが取り組むテーマを「食」と据えたのか。食は単なる栄養源ではなく、社会全体を変える触媒となり得るからです。
都市は今、深刻な課題に直面しています。インフラの老朽化、人口構造の変化、環境負荷の増大。ヨーロッパでは人口の78%が都市に住んでおり、2050年までに84%に達すると予測されています。都市は温室効果ガス排出の75%を占め、世界のエネルギーの60〜80%を消費しています。
私の拠点であるスペイン・バルセロナでは、都市をただの消費の場ではなく、ネットポジティブ(正味でプラスの影響を与える)な場所に変える取り組みを進めています。食料、エネルギー、コミュニティの再生的なソリューションを、「リビング・ラボ」という手法で開発しているのです。

その過程で、予期していなかった発見がありました。都市農園プロジェクトを始めたことで、コミュニティの絆と社会的結束が劇的に強化されたのです。住民たちが一緒に食べ物を育てることで、新しいつながりが生まれ、孤立していた人々が集まり、世代を超えた交流が始まりました。
食には、人と人、人と自然をつなぐ力があります。これがまさに、食を再生の触媒として位置づける理由です。
バルセロナのあるカタルーニャ地方では、EUが資金提供するCONCATプロジェクトを進めています。5つの伝統的な地中海作物——オリーブ、アーモンド、ヘーゼルナッツ、キャロブ(イナゴマメ)、桃——に焦点を当てた取り組みです。

これらは何世紀も栽培されてきた作物ですが、気候変動、水不足、土壌劣化という新たな脅威に直面しています。どのようにして再生的な方法で栽培し、質の高い食料を生産しながら、自然を回復させ、気候危機を緩和するか——これが、私たちの問いです。
このプロジェクトで重要なのは、カタルーニャの農業協同組合との協働です。この協同組合には3,000人以上の農家が参加していますが、彼らは今、大きなプレッシャーに直面しています。
「5年前は持続可能でなければならないと言われた。3年前はオーガニックでなければならないと言われた。今は再生的でなければならないと言われる。同時に、スマートフォンには20個のアプリが入っていて、それぞれが違うやり方を教えようとしている。一体どうすればいいんだ?」
農家たちは混乱しています。そして、かつては「食を支える存在」として称賛されていたのに、今では悪者扱いされているように感じてしまっている。でもそれは違う。
私たちは彼らから学ぶことから始めました。その上で、リジェネラティブな手法とは何かを理解し、トレーニングを通じてシンプルに整理していきました。そうして若い世代の農家へと繋いでいく取り組みを行なっているのです。
新世代の農家たちは、土地と共に働きたいと強く願っています。両親や祖父母の世代から実践を学び直し、よりリジェネラティブな方法で栽培しようとしています。同時に、廃棄物をゼロにする循環型のバイオエコノミーにも関心を持っています。
例えば、桃の活用です。果肉を食べた後の種は、バイオマスやバイオチャー(炭化した土壌改良材)として使えるだけでなく、そこに含まれる繊維を利用して、新しい代替タンパク質や食料源を開発することも可能です。ひとつの作物から、複数の価値を生み出す。これが循環型農業の実践です。
ここでもうひとつ、私たちがもっとも野心をもって進めているプロジェクトについて紹介したいと思います。バルセロナ近郊のビラデカンス(Viladecans)という町と共同で立ち上げた「アグロデルタラボ」です。

ビラデカンスは、バルセロナ中心部から車で15分、空港からは5分という立地にあります。ここに、欧州初の農業サンドボックスが誕生しました。
サンドボックスとは、農業と食品のための規制緩和ゾーンを意味しますが、なぜ、これが必要なのでしょうか。
EUは食品安全と食料安全保障を非常に重視しており、厳格な規制を設けています。それ自体は重要なことですが、イノベーションや最新の研究成果をスケールさせようとすると、この規制が壁になることが多いのです。新しい農法、新しい技術、新しい作物——それらをテストし、承認を得るまでに、何年もかかることがあります。
アグロデルタラボは、この問題を解決するために設計されました。3,700ヘクタールの土地——東京ドーム約790個分の広さ——で、イノベーターたちが知的財産、技術、研究を、通常の規制に縛られることなく実地でテストできます。しかも、主要都市のすぐ隣、ヨーロッパ最大級の空港のすぐ隣という、アクセスの良さです。

これは特別な場所です。人口500万人のバルセロナ大都市圏、ヨーロッパでもっとも人口密度の高いエリアのひとつに、これだけの広大な緑の土地が残っている。しかも、すでに多くの農業生産が行われている、生きた農地です。これほど条件の揃った場所は、他にないでしょう。
この農業サンドボックスを実現するには、複雑なプロセスが必要でした。ビラデカンス市長、スペイン政府とカタルーニャ自治政府の大臣、そしてEUの欧州委員会——4つのレベルの政府すべてから合意を得る必要がありました。現在、このモデルはヨーロッパの他の4カ国でも展開されようとしています。
さらに興味深いのは、この土地がユネスコの鳥類保護区を含む自然保護区でもあることです。ヨーロッパからアフリカへの最大の鳥の渡り経路のひとつに位置し、脅威にさらされている都市周辺部のアグロエコシステムを守る意味でも、極めて重要な場所なのです。
アグロデルタラボでは現在、複数のパイロットプロジェクトが進行中です。
- 精密農業による業務効率化:センサーとデータ分析を活用して、水や肥料の使用を最適化しています。
- 新しい灌漑システム:水不足に対応するため、より効率的な水の使い方を実験しています。
- ソーラーパネルと農業の共存:これが特にエキサイティングです。作物の上にソーラーパネルを設置しますが、光を反射させることで、作物の下は日陰にならないように設計されています。つまり、土地の二重利用が可能になります。ソーラーパネルで発電しながら、同じ土地で作物も育てられるのです。
- 新型温室の導入:より持続可能な構造で、エネルギー効率を高めています。
- 自然ベースの害虫対策:化学農薬ではなく、微生物を用いた自然由来の方法で害虫をコントロールする技術を開発しています。
- 農業副産物の建設利用:これが真の循環型経済への道です。農業で生まれる副産物——例えば先ほどの桃の種——を、バイオ建設資材として活用します。バルセロナ市は現在、私たちの「リビング・ラボ」から生まれたこうした素材を、実際の建築プロジェクトで使い始めています。
これまで紹介したプロジェクトの多くは、公的資金で支援されてきました。しかし今、状況が変わりつつあります。企業が動き出したのです。
ペプシコやバイエルといった大企業が、「リビング・ラボは経済的に理にかなっている」と判断し、自社のバリューチェーンに沿って独自の「リビング・ラボ」を構築し始めています。
ドイツのバイエル本社では、数年前に「リビング・ラボ」の立ち上げが決定されました。彼らは私たちの7年間の実績を見て、このモデルが機能することを確信したのです。
ここで強調したいのは、これは短期のプロジェクトではないということです。1年、2年、3年で結果が出るものではありません。アグロデルタラボの事例が示すように、これは7年間の懸命な努力の結果です。長期的な投資、複数のステークホルダーの継続的な関与、そして何より、失敗から学び続ける姿勢が必要です。

もちろん、決して簡単なことではありません。複雑で、時間がかかります。しかし、それでもやる価値があるのです。なぜなら、これこそが、本当の意味でスケールするインパクトを生み出す道だからです。
振り返れば20年前、カーギル社で大企業のために利益を最大化する方法を学びました。10年前、起業家として投資家の言語でピッチすることを学びました。そして今、私たちが学んでいるのは、システム全体を変える方法です。
食は触媒です。食から始めることで、農業、環境、健康、コミュニティ、経済——すべてがつながります。そして、「リビング・ラボ」という手法は、そのつながりを可視化し、実践し、スケールさせるためのプラットフォームです。
地球の健康、人間の健康、経済の健康。この3つのバランスを保ちながら、すべてのステークホルダーが共に繁栄する。それが、私たちが目指す再生型イノベーションの姿です。
バルセロナで始まった実験は今、ヨーロッパ各地へ、そして世界へと広がろうとしています。この旅はまだ始まったばかりです。しかし、7年間の蓄積が証明しています——この道は、確実に未来へとつながっているのです。

カーギル社にて10年以上にわたりリーダー職を務め、欧州マーケティング&イノベーション部門長を歴任した後、起業家としての道を歩み始め、3つのアグリフード・インパクト系スタートアップを共同創業。現在は Naked Innovations のCEOを務める。社会的・環境的インパクトを志向したアントレプレナーシップを育成し、研究成果を市場規模へと展開する「目的主導型イノベーション」の推進者としても知られる。現在は FATE、FoodTech Congress、Be-AI のボードアドバイザーを務めるとともに、マレーシアの First Frontier Ventures や Norrsken Regeneration のベンチャーアドバイザーとしても活動。さらに、UNICEF、ユニリーバ、ダノン、ペプシコ、カーギル、マッケイン、テトラパックなどのグローバル企業に対し、イノベーションプログラムやリーダーシップ・コーチングを提供する。現在はスペインを拠点に活動する。